あたまの中身は線路だらけ

ダイヤ論、配線論など鉄道に関する話題を語ります。鉄道車両のサイドビューを模した色々使える小さな画像「TrainChip」の公開も。

【TrainChip】小田急旧4000形

Windows10 Creators Updateの不具合により全環境を失わされるという災難に見舞われ、ここまでPC環境の再構築に時間を費やすことと
なりました。
ようやく作業もひと段落しましたので、本日よりブログを再開いたします。

皆様、くれぐれもOSの自動アップデートにはお気を付けくださいませ。

※TrainChipについてはこちら

ほかの車両 参考資料 pixiv

最新鋭の車体に開業以来の主電動機

1966年登場。2600形に続く大型車両だが出自は大きく異なるものだった。
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この当時は2200形や2400形といった高性能中型車が中心ではあったが、開業時からの1100形や1200形、その改良型である1400形といった乙号車・HB車とよばれる戦前組の旧性能小型車も元気に活躍していた。
これらは1950年代に更新や機器統一を行っておりあと15~20年はそのままでも使えたが、16m級の小型車とあっては急激に利用客数と列車密度が増えた状況において輸送パンクの原因になりかねない。
そこで大型の車体を新造して更新済みの主電動機を転用する*1ことになり誕生したのがこの4000形だ。

しかし大型車とはいえ走行性能は2600形には及ばず、通勤時間帯の近郊区間各停には力不足だった。
そのため任されたのは多くが江ノ島線区間運用や小田原線相模大野以遠の各停で、新宿口にはあまり顔を出さなかった。

1967年、2600形同様に4000形にも「お買い物電車」が登場したが1編成だけで、わずか半年の出来事だった。
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1969年からはほかの通勤車同様に、アイボリーに青帯の新塗装へと変わっていく。
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大型車ゆえの大抜擢もまさかの悲劇に

その1969年からは急増する朝の通勤需要に対応するため、急行の大型8連運転が開始された。
しかしこの当時20m級車体を持つ大型車は1800形、4000形、2600形の3形式しかなく、しかも2600形を急行に投入してしまうと近郊各停の輸送力不足と遅延を引き起こしてしまう。
そこで急行用の大型車として5000形が登場したが急増する需要に増備を追いつかせることは困難だった。4000形と1800形の出番である。
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3連の4000形だけでは8連が組めず、2連10本の1800形のみでは8連を組むのに4編成必要で2本しか作れない。効率良く8連を組むには両形式の併結は不可欠だった。
幸い両形式のブレーキ性能は統一化が済んでおり理論上は併結しても問題ないとのことで、早速両形式併結による5連とさらに4000形1編成を追加しての8連運転がスタート。
朝の輸送力は大幅に増強された。

だがしかし、この併結はわずか4年で打ち切られた。
1973年にこの組み合わせによる編成が、わずか2週間のあいだで2件も続けて脱線事故を起こしたからだった。

実は両形式の台車の相性が悪く、とくに4000形の履いていたパイオニアⅢはバネの固い他形式台車と組み合わせると問題動作を起こしやすいという欠点があった。
再現試験によってこれが証明されると直ちに両形式の併結は禁止されたが、だからといって8連運転を中止することはできなかった。
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窮余の策として採られたのは、4000形の一部編成でTc車を休車、残った2両を別の編成と組ませて5連化することだった。
しかしこれでは必要な本数が確保できずムダが多い。
やむなく中間に組み込むM車2両を新造増備して暫定5連を解消することになった。
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この増備車に主電動機を転用するため、戦時期の名車1600形、元ロマンスカーの1700形、戦後の標準型1900形のいわゆるABF車と呼ばれるグループも淘汰されることになった。
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ちなみにこの頃、先頭車へのスカートおよび無線アンテナの装着が進められた。

波瀾万丈の人生も、最後はひっそりと

1970年代後半から1980年代に入ると多くの車両が大型化され、急行・準急も大型車10両編成が珍しくなくなったがその役割はもっぱら他形式車が担った。
4000形はその古い性能とパイオニアⅢ台車、さらに他に例がない編成構成ゆえに他形式車と併結ができなかった。
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そこで1985年から高性能化と冷房改造を行い、併せて編成も他形式とおなじ4連・6連に組み替える大規模な工事が行われた。
すでに高性能中型車は2200形などのABFM車と呼ばれたグループが8000形の登場で淘汰され、最後まで残った2400形が4000形に主電動機を提供することになった。
またパイオニアⅢ台車もこれを機にお役御免となったが、ブレーキディスクが外側に出た形態は新台車に引き継がれている。

これによりようやく他車と性能を一致させることができ、以後は千代田線以外の箱根登山線を含む全線で各停から急行(湘南急行含む)まで幅広く活躍することになる。
それからの20年間はそれまでの波乱万丈が嘘だったかのように大きな動きもなく、目立たないながらも与えられた任務を淡々とこなしていく日々が続いた。

それは、最後の日まで変わらなかったのである。
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2004年12月10日、4000形はすべての任務を終えて引退した。
最後の仕事は、4000形どうしの10連急行だった。

その半年前に引退した2600形とは違い、とくに目立った企画を催されることもなく、さよなら運転のようなセレモニーを実施してもらえることもなかった。
ただいつもどおりの任務をいつもどおり淡々とこなして、そのまま去っていったのである。

あまりにも呆気なく、その波乱万丈の生涯を考えたら一見寂しすぎる結末に思えた。
だがしかし、本人はこう思っていたのかもしれない。

若いころは色々とありすぎたね。
でも俺はほんとうに幸せだよ。
こうやって、最後まで自分の仕事をきちんと務め上げられたんだから。

そんな彼に、私なりの惜別のセレモニーを贈ろう。
gk-railways.hatenablog.com


小田急のほかの車両はこちら

参考資料はこちら↓
懐かしの小田急線―昭和30‐40年代の沿線を偲ぶ

懐かしの小田急線―昭和30‐40年代の沿線を偲ぶ

小田急電車回顧〈第3巻〉

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小田急電鉄 (街と駅の1世紀)

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pixivのページはこちら↓

*1:当時は小田急以外の私鉄でも急激に増えた利用客輸送に対応するため、このように旧型車を車体更新して新形式車を製造することは珍しくなかった。