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あたまの中身は線路だらけ

ダイヤ論、配線論など鉄道に関する話題を語ります。鉄道車両のサイドビューを模した色々使える小さな画像「TrainChip」の公開も。

【TrainChip】小田急2600形「NHE車」

※TrainChipについてはこちら

ほかの車両 参考資料 pixiv

小田急初の大型通勤車

東京オリンピックが開催された1964年に登場。小田急がまた革命的といっていい新車を世に出した。
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高度成長期の幕開けとなるこの頃の東京近郊における人口爆発は凄まじいものがあり、小田急も日々の通勤輸送に四苦八苦。
とくにインター区間と呼ばれる新宿-向ヶ丘遊園の各停における混雑は相当なもので、最新鋭の高性能車だった2400形を集中投入しても捌ききるには輸送量の小ささがネックだった。
当時の小田急には20m級の車体を持つ大型車として1800形が在籍していたが車幅が狭いうえ、旧性能車で加減速性能が低く近郊各停には向かなかった。

そこで近郊区間各停用に車幅を建築限界いっぱいにまで広げた大型高性能通勤車として製造されたのが2600形だ。
当時はHE車*1と呼ばれた2400形の進化型として、頭に「New」の頭文字を付けたNHE車と呼ばれた。

6両編成での導入が予定されていたが、当時は近郊各停停車駅のホーム長が中型車6両分までに制限されていたため暫定的にサハ1両を抜いた5両編成で登場した。
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こちらは1967年11月に小田急百貨店新宿店本館が全館完成したのを記念して登場した特別塗装車。通称「お買い物電車」

1968年には南新宿駅を除く近郊各停停車駅のホーム延伸が完成。はれて設計どおりの6両編成となった。
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「アイボリー地に青帯」の幕開け

高度成長期に入って人々の暮らしも豊かになり、全般的に明るい雰囲気か好まれるようになってきた。
そうなると1910形ロマンスカー以来の紺と黄色の小田急電車も「暗い」「重い」という印象を持たれるようになり、より明るい色へ一新することになった。
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そのとき選ばれたのがケイプアイボリーをベースにローヤルブルーのラインを引いた、現在でもおなじみのカラー。
青色が選ばれたのはお隣の京王が5000系で赤のラインを採用していたことに加え、小田急と懇意にしていた建築家*2の意見もあったという。
1969年に2600形1編成が塗り替えられたのを皮切りに、すべての通勤車に波及していくことになる。

ところで、これにはもうひとつこぼれ話がある。

実は当初、帯の幅はもっと細かったという。
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しかしこれを見た当時の廣田宗・小田急電鉄社長は
「色はすごく良いんだけど、なんだか白の印象が強すぎるなあ。」
「この青い帯、もっと太くしたらどうだ?」

ということで、いまの太い青帯になったという。
それまで国鉄進駐軍専用列車の車両でしかこれほどの太い帯は実績がなく、当時としては画期的だった。

それが今のステンレス車全盛時代になっても活かされ続け、他社でも当たり前のように採用されるようになったのだから大したもの。

しかし確かに、帯が細いとむかしの営団東西線一畑電車かみたいな感じでインパクトは弱い。
廣田氏の先見の明には驚くばかり。

1980年代からは変幻自在

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1972年に千代田線直通に向けて9000形が登場するとそれに合わせて前面にスカートが装着され、サービス向上のために冷房化も行われて雰囲気が引き締まった。

1980年代になると、向ヶ丘遊園で開催されたイベントに合わせての特別塗装車(期間限定)も登場した。
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1982年に登場した「フラワートレイン」(第1次)
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1983年に走った「フラワートレイン」(第2次)

1993年からは近郊各停8連化にあわせて、8連固定に組み替えた編成も登場した。
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中間車はすべてM車という強力な編成。
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あまった中間T車を集めてVVVF制御に改造した編成も1本だけ登場した。

最後は、いちばん初めの色に戻って

しかし90年代も半ばとなると老朽化が進行。まず2000形に置き換えられる形で8連がまっさきに消滅した。

さらに3000形の登場・増備によって6連も数を減らし、2003年にはついに1編成を残すだけとなった。
(近郊各停用という扱いだったが、皮肉にもこの頃は箱根湯本行き急行湘南急行で活躍することが多くなっていた。)

2003年10月14日「鉄道の日」、奇跡は起こった。
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なんと、最後まで残った1編成が32年ぶりに紺と黄色の懐かしいカラーに塗り替えられたのだ。

鉄道ファンのみならず沿線住民にも注目されたこの姿のままで翌年6月まで走り続け、2600形の歴史にピリオドを打った。

現在は喜多見検車区、辻堂海浜公園、神奈川県消防学校でそれぞれ先頭車1両ずつが静態保存されている。
喜多見検車区の1両は、あの懐かしい紺と黄色の車両である。


小田急のほかの車両はこちら

参考資料はこちら↓
TOMY プラレール限定車両小田急2600形 (標準色)

TOMY プラレール限定車両小田急2600形 (標準色)

小田急電鉄スペシャルセット

小田急電鉄スペシャルセット


pixivのページはこちら↓

*1:「High Economical Car」の略

*2:半世紀も前のことなので当たり前だが、岡部憲明氏ではない。