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あたまの中身は線路だらけ

ダイヤ論、配線論など鉄道に関する話題を語ります。鉄道車両のサイドビューを模した色々使える小さな画像「TrainChip」の公開も。

【TrainChip】小田急9000形

※TrainChipについてはこちら

ほかの車両 参考資料 pixiv

千代田線乗り入れ用“ガイコツ顔”

1971年登場。そのデザインは大きな衝撃だった。
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側窓はスマートな一段下降窓。
前面は額縁タイプで、窓を天井ぎりぎりにまで拡げたそのスタイルは“ガイコツ”の異名をとり、以後の鉄道車両のデザインに大きな影響を与えた。

なぜこのような車両が生まれたのか、それはこの翌年に予定された営団地下鉄千代田線乗り入れのため(実際は1978年に順延)。
あちらの車両は左右非対称のデザインでこれまた衝撃を与えた6000系
その6000形に見劣りしないデザインの車両を小田急はどうしても欲していた。
30近い候補の中から選び抜かれたデザインだった。

千代田線には10両編成で乗り入れる予定だったが、地上線の急行運用に充てる車両も必要だったのでとりあえず4両編成が先に登場。
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その3年後に6両編成も加わった。

意外に短かった、その使命

当初の予定より6年も遅れて千代田線が開業。
9000形もさっそく乗り入れて東京の北側、綾瀬まで顔を出した。
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しかし小田急線の複々線化がまるで行えず、千代田線からの電車はほとんど乗り入れられない。
仕方なく通勤時間帯の電車を最優先し、土休日には1本も乗り入れなしという有様だった。

6+4の10両編成を9本も用意し、将来の常磐線乗り入れに向けた準備もしていた9000形にとっては忸怩たる思いだったろう。

それでも文句ひとつ言わずに乗り入れ準急から地上の各停・準急・急行と縦横無尽に頑張った彼に、運命は残酷だった。
1987年に1000形が登場すると、2年後にはもともとの使命だった千代田線直通運用を9000形から奪ってしまったのだ。

気がついた時はもう消えていた。

千代田線直通運用から引退してもなお9000形は地上運用で頑張った。
ほかの通勤車同様に、パンタグラフシングルアーム形に乗せ換えて。
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一方、4連はオールM車とあってその高加減速ぶりが近郊各停にはもってこいだった。
そこで4連を2編成組み合わせた8連固定が6編成つくられた。
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とはいっても、間に挟まった元先頭車は運転機器と灯火類を外すだけの簡単な改造しかされなかった。
実は他形式とは違うその仕様や癖が、現場からは嫌われていたのだ。

というわけで2005年から淘汰がはじまると、わずか2年のあいだであっという間に消えていった。
先輩の5000形よりも早く、そして先に。

最後にさよなら運転をしてもらえたのが、せめてもの救いだろうか。

いまは先頭車1両だけが保存されて、喜多見検車区で眠っている。


小田急のほかの車両はこちら

参考資料はこちら↓
小田急通勤型電車のあゆみ (キャンブックス)

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小田急電鉄の車両 JTBキャンブックス

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小田急電鉄(私鉄の車両2)

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